“僕と付き合ってください”
“…ごめんなさい”
どこにでもあるような、聞いたことある恋愛ドラマの中で出てくるようなセリフ
人生において、実際に経験した人ももちろんいるだろう
相手のことは、常に考え、気になる存在
今何してるのか?
誰と一緒にいるのか?
どんな事を考えているのか?
でも相手は自分のことを気にしてもいない、つまり好きではない
余談だが、好きの反対は嫌いではない、無関心である、つまり“どうでもいい”ということだ
よくテレビで
“抱かれたい男ナンバーワン”
“抱かれたくない男ナンバーワン”
流れていたりするが
自分からすればどちらも根は同じなのだ
口にされる事が芸能人にしてみれば大切なのだ
名前、顔すら知らない、わからない
彼らにとってはそれが致命的なのだ
嫌われるのも好かれるのも実は同義だと自分としては思っている
脱線が過ぎた、話を元に戻そう
“好きではない”と思われてる人に振り向いてもらうのはなかなか難しい
もちろんなにかのキッカケで意識されて、大逆転もないわけではないが…
実は今日は恋愛論を語ろうというのではない
“好きこそものの上手あれ”
卓球も結局は好きかどうかなのだ
でも人によって、その程度は異なる
自分(指導する側)の好き具合と相手(される側)の好き具合が違ったら、、つまり温度差があるとお付き合いもやはり上手くはいかないのだ
そして、無理矢理好きになってもらう事は出来ない
やる気あるとかいう表現もあるが
卓球自体が好きかどうか?
それだけで殆どの事は解決してしまう
“あばたもえくぼ”である
練習が多少苦しくても我慢するだろうし
嫌な面も良い面でカバーできる
自分の中でである
色んな細かい事も気にして、取り入れようとするだろう
何よりも“やらされる”と感じる事はない
やる気を教える事は出来ないが卓球の面白さを感じて、好きになってもらえる方法はあるだろうか?と最近思う
何しろライバルはテレビゲームやスマホである
強敵だ
スマホのゲームで言えば、課金すれば簡単に手に入るアイテムはあるかもしれないが、
相手をブチ抜くフォアハンドドライブはそう簡単には威力、安定感共に得られはしない
自分は苦労して手に入れたものしか人間は大切にしないと思っている
(簡単に出来てしまう人もいる…腹立たしいがそれは才能なので仕方ないのだ)
“無関心”では当然ながら卓球の神様はは振り向いてはくれない
でも、いくら好きでも片思いで終わる事もある
切ないラブストーリー…