初夏の風

昔、大学生の頃のことだが

その当時よくつるんでいた友人と話したことを覚えている

内容は誰もが考えつくようなありきたりのことなのだが

“人類は滅びるか否か”

当然2人の意見は一致していないわけで、その友人の意見は

“人間の英知を持ってすれば、地球自体が滅びる前に他の惑星に移住できるだろう”

私はと言えば、

“人類は所詮は自然の一部、一員であり、いずれ淘汰される運命だ”

とお互いそれぞれ主張したのだった

“人間は考える葦である”

パスカルの原理で有名な学者、パスカルの言葉だが

人間は葦のような脆弱な生き物である…が“考える”力があった事でこれだけ地球上で繁栄した事は否定出来ない事実である

今でも思うのだが、2011年の東日本大震災の映像はもちろん、当時リアルタイムでも見たが、今見てもショッキングな程に人間の無力さを思い知らされた出来事であった

大自然の前には人間なぞ、その力を持ってしても、どうにもならないくらい無力な存在なのだ

そして今現在も続いている新型コロナウイルスの脅威…

卓球に関して言えば、様々な大会が無くなり、練習もままならず、みんないかに私が落ち込んでいるか、とご心配をくださる方もいる

もちろん娘を含め、中3生の生徒達にとっての最後の大会が無くなった悔しさ、寂しさ、残念な気持ちは大いにある…目標もあっただけに、気持ちだけ見れば正直言葉には表せない

でも受験生、新入生など、人それぞれ立場は違えど影響は大いにある

“その人のその時”はその人にとってはかけがえのない時間なのだ

新型コロナウイルスの脅威を目の当たりにして一番感じている事は皮肉にも

“人間という生き物の恐ろしさ、どうしようもなさ”

(冗談ぽくではあるが)もし万が一罹患しても絶対に言えない、そんな事がバレたら村八分になる、そこに住めなくなる

と話す人

だが、実際、家の壁に落書きされたり、貼り紙される店舗…

かかってもいないのに“かかったらしい”と噂を流されて、風評被害を止めるためにわざわざ新聞紙上で罹患を否定していた方も見た

マスコミや学者の人々もテレビやネット上でそれぞれ違った意見を毎日垂れ流している

みんな何を信じたら良いのかわからなくなってパニック寸前である

政府のその時の対応を批判するのは簡単だが、何がベストだったかは後になってみないとわからない事もたくさんあるのだろう…

科学や社会は進歩したが、人間の本質は変わらない

いつものような毎日

健全なる身体

“ありふれたような日常”

は実は錯覚で、

ちっともありふれてなどはいないのである

人間が人間らしく生きられる環境は全て地球上の奇跡の連続の上に一時的に成り立っているだけなのだ

いかに自分達が刹那の中に生きているか、否、生かされているだけなのかを痛感する

元気な子供達の顔を早く見られる事を願っています

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